1999年4月12日(月)

家庭用ゲーム(1)



History of Video Game(1)


 とあるサイトで興味深い資料を発掘したので、今日からしばらく、この資料をなぞりながら家庭用ゲームの歴史を辿っていこうと思います。  若干、ろくに調べもしないで書いてますのでどこか誤った箇所もあります(断言)。予めご了承下さい。


1.家庭用ゲーム草創期

 国産第1号のテレビゲームは、『テレビテニス』(エポック社、75年)。どういうものかは知らないが、テレビテニスだというのは知っていた。19500円だったが、当時の19500円といったら、かなりの額ではないだろうか。しかも、テニスゲームしかできない。だから発売されたハードの数もバリエーションに応じて存在するわけだが、その都度購入していたユーザーは存在するだろうからすごい。
 その後、1台のゲーム機で1つのゲームしか遊べないのでは非合理的だとして、ゲーム機で複数のゲームを遊べるように工夫された。
 さらに、カセットテープを入れ替えることによって複数のゲームを楽しめるようにしたのがあったことは覚えている。当時は記録媒体といえばカセットテープが全盛だった。頭から読み込む必要があり、時間がかかるのでこの媒体はすぐに消えるのだが……。
 また、携帯型ゲームの元祖、『ゲームウオッチ』(任天堂)を忘れてはならない。 任天堂は花札やトランプなどカード類で有名な会社だったが、このゲームウオッチを世に出すことによって、個人がゲームで遊ぶことをよりいっそう身近なものにした。
 ゲームウオッチはその名の通り、アラーム機能付き時計とゲームが融合したカード型ゲームだ。4980円から6980円で、今思えばとんでもない値段だ。しかし、内蔵チップや液晶がまだ高価だったので当時の事項から考えれば妥当+αだ。
 液晶画面の大きさや並び方でワイドスクリーン、マルチスクリーン、パノラマスクリーンなどのシリーズがある。
 バンダイなどがその亜流を出していたが名称は忘れた。ボタン型電池ではなく、ソーラー電池で動いていた。
 ゲームウオッチ以外は、この時代のゲームを楽しんだ世代ではないので、あまりそれっぽく語るとぼろが出る。ここは「よくわからないんです〜」とごまかして締める。

 ゲームプログラムが書かれた媒体をハードに差し込んで遊ぶという形式のゲームで印象深いのは、『カセットビジョン』(エポック社、81年 )だった。今となっては「こんなゲーム、フリーウエアでも存在しないよ」というようなものだったが、現在のテレビゲームの原型となったものであるといえる。ゲームのルールが単純であればあるほど、のめり込みがちである。価格は13500円とまあまあの値段だった。
 本体に、ゲームプログラムが記録されたROMを差し込むことで複数の種類のゲームを楽しむことができる。操作性は至極悪かった。小学校時代に金持ちの友人がおり、しょっちゅう、それこそ嫌がられるほど遊びに行ったものだった。
 ソフトの種類はあまり多くなかったが、『木こりの与作』は実際遊んだ。鳥、イノシシ、ヘビの攻撃を避けながらひたすら木を切り続けるというものだった。
 対応ソフトは9本。2年後にファミリーコンピュータ(任天堂、93年)を14800円で発売したのに対抗し、カセットビジョンJrを5000円というお値打ち価格で送り出したがどうも不発。翌年はスーパーカセットビジョン(94年)を売り出したが、既にファミコンにお株を奪われていた。  このファミリーコンピュータが登場した1983年はゲームの革命と言っても過言ではない。
 当時、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の性能では売値3〜4万以上はかかるといわれていた。もちろん、任天堂も14800円では赤字だ。最初にハードを安く売って、ソフトで稼ごうと考えたわけだ。ゲームはハード単体では遊べないからこの手法はうまく行った。
 最初は五目並べやドンキーコング1〜3、ピンボールなど非スクロール型ゲームが主流だった。内容は単純だが、単純であるが故に今でも暇つぶしに遊ぶことができるゲームは少なくない。
 今さら語るまでもないが、スーパーマリオの登場でその人気は不動のものとなった。人気の秘密は、当時まだ珍しいスクロール型ゲームであり、隠しアイテムや隠しステージなど「裏技」の宝庫でもあった。また、カートリッジをちょっとずらして差し込み、電源を入れるとプログラムが暴走(?)する、「バグ面」「バグ技」も登場した。これの元祖は「ベースボール」で、外部コントローラ差込口のピンを金具でいじると、超スローボールが投げられる裏技があり、その代償としてハードを壊した子供も少なくなかった。
 ファミコンの拡張機器として、ファミリーベーシック(84年)が登場した。カセットをファミコン本体に差し込み、キーボードをつなげるとBASIC言語が使えるようになるツールだ。また、プログラムはデータレコーダに保存可能で、媒体はカセットテープ。エキサイトバイクやレッキングクルーなど、一部のゲームソフトのバックアップ装置ともなった。V3まで登場したが、開発ツールにしては中途半端だったという印象しかなかった。



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